夢のみなもと人生ノート

「夢のみなもと」とは、やりたい夢を描いている本当の自分という意味で使っています。日常に起こる様々な出来事や過去の思い出から自分らしく生きる人を通して気づいたことを人生ノートとして綴っています。

祖母の人生に学ぶ

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 私は、5人兄弟の四男に生まれました。 
 妹と年子だった私は、幼少の頃から祖母に面倒をみてもらっていました。

明治生まれの祖母は、母に対してはとても厳しい人でしたが、孫にはとてもやさしいおばあちゃんでした。中でも私は、特にかわいがってもらいました。
どこへ行くにも必ず連れてまわり、それが祖母の喜びであったようです。

 私が生まれた昭和30年代は、大阪市内にも自然がまだたくさん残っていました。
 自宅近くには大きな木が立ち並び、草花がいっぱい咲いていて、近所には空き地がたくさんありました。
 
  祖母は地主さんに土地をお借りし、そこで畑を耕していました。
 「すんまへんが、畑作るんで、場所を貸しておくんなはるか・・・」。
 「かめへん、かめへん、好きなように使うてや!」

 祖母がたのむと、地主さんは気持ちよく貸してくれたそうです。 そんなのどかな時代でした。 夏になると畑でもぎ取ったキュウリやナスをよく祖母に食べさせてもらったものです。

 祖母は、とても信仰心の厚い人でした。 ですから躾をするのに、神仏ことをよく口にしていました。
 「悪い事をしても、ちゃんと神さんが見てはるで」
 「人に迷惑かけたら、自分に返ってくるんやで」
 「嘘をついたら、閻魔さんに舌をぬかれるで」
 「感謝しとったら、神仏に守られるんやで」

このような会話は昔の人なら当然で、何も祖母に限ったことではありません。しかし、当たり前ことが、当たり前でなくなったときに、人の心が乱れていくように思います。

 祖母は大変世話好きな人で、人が困っていると、自分のことのように思う人でした。
ですから、近所の人は、祖母のところによく相談に来られ、また、祖母自身も出向いては相談に乗っていました。
 
その頃、一匹の柴犬を飼っていました。名前は「トニ」と言いました。私が生まれたときには、すでにトニはいました。 とても賢い犬で、それに喧嘩がめっぽう強く、負けたことがありません。 ですから他の犬がトニに出くわすと、避けて通ります。しかし、人には噛み付くことはありません。 そんなことをしたら祖母が許さないからです。

トニは、祖母の言うことを良く聞いていました。 あるとき、トニがいなくなったことがあります。 家族みんなで探したのですが見つかりません。 すると、近所の人が教えに来てくれました。


 「トニなら、昨日、保健所の人が連れて行きはったで・・・」
それを聞いて早速父はトニを迎えに行きました。そして無事に我が家に戻ってきたときです。 トニは真っ先に祖母のところに駆け寄って、 喜んで祖母の顔をなめまわしていました。そのときの光景を懐かしく思います。

 昭和37年6月14日、私が小学校1年生のときです。 朝起きて顔を洗いに行こうとしたら、トニが倒れていました。 私は大声で祖母を呼びました。

 「おばあちゃん、たいへんや、トニが倒れている!」
そのときトニは、すでに息を引き取っていました。

 亡くなる前日、トニはお世話になった方々に挨拶に行っていたと、 後になって近所の人たちから聞きました。 それほど賢い犬でした。

 祖母はトニの遺体の前でお経をあげ、ずいぶん長い時間、別れを惜しんでいました。
その模様が、昨日のことのように思い出されます。

そんな祖母が脳梗塞で倒れたのが、昭和45年1月13日のことです。夕食を終えて一段落しようとしたときに、 一瞬目まいがして、その場で倒れたのです。

それから半年後の6月14日、祖母は亡くなりました。享年75歳。偶然にもそれはトニと同じ命日でした。 トニが死んで、ちょうど8年後の出来事です。
  
母は半年間、寝たきりの祖母を懸命に看病しました。 嫁に来た頃、祖母にはずいぶんきつくされたと聞かされています。 しかし、祖母は亡くなる何日か前に、涙ながらに父に語ったそうです。
 「おまえ、ええ嫁さんもろうてくれて、 ありがとうな。ありがとうな・・・・・」

お葬式は、雨の中で行われました。当時、中学3年生だった私にとって、お葬式に出るのは初めての経験です。


 雨の中にもかかわらず、ご焼香には参列者が長蛇の列を作り、祖母の死を悼みました。
その頃は、あまり実感していなかったのですが、参列者の多さに気づいたのは、 私が大人になって、他のお葬式に行くようになってからのことです。

けっして名を残したわけではなく、
れといった功績があったわけでもなく、
 何一つ大きなこともしていない、
そんな祖母に、なぜあれほど多くの人が集まったのか・・。

それは多くの人が、心から感謝していたという証にほかなりません。
 人の評価は、お葬式のときにわかると言われます。
 私は祖母の人生を振り返ってみて、まだまだ足元にも及ばないと感じる毎日です。
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